90歳の死生観
考え事って考えてるうちに迷走して、何考えてたのかわからなくなること多いよね。
久しぶりに書いてる。
今日は昨日ばあちゃんに会って思ったことについて。
昨日ひさびさに会った父方のばあちゃんは、今年で90歳。15年前にじいちゃんが亡くなってからずっと一人暮らししている。
さすがに90歳っていう歳には敵わなくて、わたしの両親がよく面倒見に行ってるし、週に何度かヘルパーさんに来てもらってるけど、今もなんとか一人暮らし。
ボケることなく、ただただ老いていってる。
半年ぶりにばあちゃんと会ったけど、居眠りしてる時間が増えてたし、お迎えもお見送りも玄関まで来なくなったし、私も確実にばあちゃんの老いを感じた。
かろうじて出来てるけど、お風呂やトイレがしんどい。当たり前に出来てた自分のことが少しずつ難しくなってるみたい。
思った通りにならないツラさと恥ずかしさと自尊心が傷つけられる感じ。あと、「着実に最期に向かっている感覚」
見てて辛かった。
仲良かったご近所さんも亡くなったり、病院や施設に行ったりで、少しずつ減って来ていて、そこからも「着実に最期に向かっている感覚」が強くなるんだろうな。
死ぬのが怖い、というか、わたし達と別れるのが寂しいってボソッと言ってた。
やめて、泣く。
90歳にもなったら「生ききったなあ!いつ死んでもいいや!天国で会おうな!!」って悟れるとのだと思ってたんだけど、なかなかそうはいかないもんなんだね。
わたしがばあちゃんに出来ることは、会いに行って楽しい話するくらい、か。
後悔する前に、ちゃんと会いに行こう。
人は老いていくこと、必ず死ぬこと。逃げられないんだから、自分の今と、せめて大切な人の今を丁寧に扱わなきゃなあって改めて思った。
今を丁寧に扱うってどういうことやって感じやけど。
自分自身もそう、自分と大事な人ともそう、「素直に想いを伝える、両手で想いを受け取る」ってことかなあ。
これは一生かけて模索するやつだ。
いつか死ぬから生きてるんだよな
考え事は苦しいこともあるけど、楽しいこともいっぱいあって好きだ。
今日も読みきってくれてありがとうございます。